1970(昭和45)年、『ウルトラファイト』が放送された。 これは毎週月曜から金曜まで、5分間放送された着ぐるみバトルの特撮番組。


 当時、第一次怪獣ブームが沈静化し、『巨人の星』(日本テレビ系)や『あしたのジョー』(フジテレビ系)などのスポ根ものが流行していた。そんな中でも、『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)の再放送や子ども向け情報誌でのウルトラシリーズ特集により、新作への機運は高まっていった。

cf.)『ウルトラマン』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6642931.html

cf.)『ウルトラセブン』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6375058.html

 しかし、当時の円谷プロは費用を度外視した番組製作のために赤字が嵩み、新作への余裕はなく、円谷英二の逝去もあり、危機的状況にあった。そこで、長男の円谷一は「支出ゼロの番組を作ろう」と発案。それを受け、満田かずほ達がまとめた企画が『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』の特撮戦闘シーンを編集して5分間のミニ番組を作るというものだった。


 企画初期タイトルは『ウルトラ100』。次いで『ウルトラファイト130』。この130とは、月曜から金曜まで週5で放送する帯番組枠で2クール(26週)分の数字。『Q』『マン』『セブン』の怪獣・宇宙人の合計数とほぼ同数だった。

 ところが、実際にフィルムから特撮対決シーンを抜き出してみると尺が足りないものが多いことが判明。そこで、過去作の抜粋だけでなく、新撮の回を作ることで、話数を補うことになった。なお、新撮パートでのヒーローはセブンだが、セブンの出て来ない怪獣同士のバトルのみの回も多い。ナレーションは山田二郎アナウンサー。明瞭な活舌と整った発音でのアドリブ実況でバトルを彩った。

 撮影やアトラクションで酷使された着ぐるみは、かつての華々しさが薄れ、くたびれていたものが多く、ロケで行われた新撮パートはミニチュアもなく泥まみれのバトルが多かった。放送開始当初は「円谷プロは出涸らしのお茶で商売している」とマスコミから散々に揶揄された。

 しかしながら、子どもたちにとってはテレビで怪獣が見られるため瞬く間に人気番組となり、予定の130話を上回る196話が製作され、再放送も随時挿入、結果として253回の放映となった。

 これが第二次怪獣ブームの火種となり、『帰ってきたウルトラマン』(1971)の製作に繋がることになる。

cf.)『帰ってきたウルトラマン』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6315068.html

[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラファイト
にほんブログ村 テレビブログ 特撮へ
にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村