1971(昭和46)年に放送された『帰ってきたウルトラマン』は当初、初代『ウルトラマン』(1966)の完全な続編として構想されていた。生前の円谷英二が「世の中いろんなもの(用心棒や座頭市など)が帰ってくるから、ウルトラマンもそろそろ帰ってこさせようか」と言ったことから企画が始まったとされている。

 円谷プロの満田かずほと田口成光によって書かれた企画書「特撮怪獣シリーズ/続・ウルトラマン」は、『ウルトラマン』から約30年後の世界に、ウルトラマンが帰ってくるという内容。科学特捜隊を引退した ムラマツやハヤタが登場し、ウルトラマンと一体化したバン・ヒデキ(晩日出輝)がベーターカプセルで変身するなど、初代『ウルトラマン』を強く意識した内容であった。しかし、当時は第一次怪獣ブームが沈静化していたため、テレビ局からはなかなか製作のGOサインが出なかった。

 そんな折、1970年に円谷英二が急逝。長男の円谷一がTBSを退社し、円谷プロ社長に就任、ウルトラマンの復活に着手することになる。円谷一は、TBSのプロデューサー・橋本洋二らと話し合いを繰り返し『帰ってきたウルトラマン』のタイトルで企画内容を再検討。主人公のバン・ヒデキが北海道のカドクラ牧場で働いているという設定だった。

 さらに、メインライター・上原正三と橋本洋二プロデューサーの間で内容が詰められ、自動車工場で働く主人公・郷秀樹、彼を取り巻く坂田兄妹の存在、防衛チームMATの設定などが考えられた。

 作家主義の橋本は「人間ドラマを重視したい」という意向で、「主人公が命懸けの努力をすることでウルトラマンへの変身が可能となり、鮮やかに事件を解決する」というストーリー展開を打ち出す。これを受け、上原正三は崇高な初代『ウルトラマン』との差別化として、当時流行していた『柔道一直線』に見られるようなスポ根路線を採り入れた。これにより、組織や戦いの中で、未熟な若者が鍛えられ成長していく様子が多く描かれた。これは後に「人間ウルトラマン」と評されることになる。

 帰ってきたウルトラマン(後年ジャックと呼ばれることになる)のデザインは当初、初代ウルトラマンが帰ってくるのため、初代と同じであったが、円谷プロ営業部が「商品化権販売の点でメリットが薄い」と指摘。当時営業課長だった末安正博の手で、ウルトラマンの赤いボディカラーに二重線を引いたラフ画をもとに着ぐるみが製作され、これを使用して撮影が開始された。しかし、「以前のウルトラマンと見た目が変わらない」という意見が多く出たため、急遽デザインを修正。新たなスーツで撮り直しとなった。マスクは開米プロとヒルマモデルクラフトが製作。初代マンのCタイプを原型とし、若干吊り目となっている。また、着脱のし易さを重視し手袋やブーツの裾が明確に露出している。

 ジャックの名称に関しては、1984年の映画『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』で「ウルトラマンジャック」の名で正式に統一されるが、それまでは「ウルトラマン2世」や「新マン」
「帰マン」「帰りマン」などが混在していた。因みに、「ジャック」という名は、『タロウ』(1973)の企画段階で一度挙がった名前でもあるが、当時社会問題となっていたハイジャックなどを連想させる語として見送られていた。

 夕陽の中で闘う姿が印象的で、後の作品でオマージュされるときは夕陽とセットのシーンも多く、『ウルトラマンタイガ』(2019)第10話「夕映えの戦士」はその最たるものである。近年のウルトラシリーズの特撮最前線で活躍するクリエイターたちは、第2期ウルトラシリーズの1作目となったこの『帰ってきたウルトラマン』のファンが多く、今後の作品への影響も計り知れないものがある。

cf.)前作『ウルトラセブン』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6375058.html

cf.)ウルトラマン復活の機運を高めた『ウルトラファイト』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6137165.html

cf.)次作『ウルトラマンエース』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/5915827.html

[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS
https://ja.wikipedia.org/wiki/帰ってきたウルトラマン
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