『ウルトラマン』(1966)はどのような経緯で製作されたのだろうか。武田薬品一社提供枠「タケダアワー」で放送された本作は、TBSでは初となるカラー特撮番組である。

 1966(昭和41)年、『ウルトラQ』が満を持して放送され、平均視聴率30%超えという空前の大ヒットを記録。実は次回作は1965年8月頃から検討されていた。「民間人が毎回、怪事件に遭遇する」という『Q』の不自然さを解消すべく、怪事件の解明を専門とした組織「科学特捜隊」が考案され、さらに正義の怪獣「ベムラー」を主人公とする企画書が書かれた。

 メインライターは円谷特技プロ企画文芸部室長・金城哲夫。TBSプロデューサー・栫井巍(かこいたかし)らとともに、様々なアイディアが出されていった。

 企画書「科学特捜隊ベムラー」におけるベムラーのデザインは、カラス天狗のようにクチバシや羽根を持ったものであった。しかし、正義のヒーローに見えず、不採用となる。

 続く企画書「科学特捜隊レッドマン」においては、『Q』でケムール人やペギラ等のデザインを手掛けた成田亨がレッドマンをデザイン。甲冑を身に纏ったようなデザイン等を経て、宇宙服なのか模様なのか見分けがつかないようなデザインとなり、余計なものが削ぎ落されどんどんシンプルになっていった。これには、本作品はアメリカへのセールスを前提としており、アメリカの事情に詳しいTBSの大谷乙彦らが「今の形では外国人に受け入れられない。もっと無表情な鉄仮面のようなものの方が謎があっていい。」と提案した影響もあるようだ。

 最後は造型を担当した佐々木明と共に粘土細工に直接手を入れながら完成。このときはカラータイマーはついておらず、後の撮影直前になって勝手に付け足されたという。

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cf.)ウルトラマンのデザインの変遷についてはこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6180062.html

cf.)ウルトラマンのマスクの造型についてはこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6183384.html

cf.)成田亨のデザインへの帰還を図る2021年公開予定映画『シン・ウルトラマン』についてはこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/5152928.html

 「レッドマン」というタイトルは、タイトル盗用を防止するためのダミータイトル。この段階で既に、「飛行機事故でサコミズを死なせた宇宙人レッドマンが責任を取ってサコミズの身体を借りる」という基本フォーマットが描かれており、この「サコミズ」という名前は後に『ウルトラマンメビウス』(2006)の隊長役の名前に使われることになる。

 なお、レッドマンは故郷の星を侵略者によって既に滅ぼされていたり、サコミズには人気歌手の恋人がいることなどが盛り込まれている。この人気歌手の恋人の存在も後に漫画『ULTRAMAN』(2011)の設定として採用されている。

cf.)『ウルトラマンメビウス』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6016964.html

cf.)アニメ『ULTRAMAN』第3話はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6031944.html

 『ウルトラQ』の「ウルトラ」を継承した『ウルトラマン』というタイトルが商標登録されるのを待ち、正式タイトルお披露目となった。

 7月17日の本放送に先立ち、一般試写会が豊島公会堂など都内の各会場で開催された。その最終会場である杉並公会堂での試写会は、第1・2話の上映の他、円谷英二、科特隊のメンバー、ナンセンストリオなどのゲストが登場。ウルトラマンや怪獣たちの立ち回りが披露され、豪華な内容となった。

 この模様が7月10日に『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』のタイトルで、第3話の特撮シーンの紹介とともに放送され、30%を超える高視聴率を記録した。7月10日が「ウルトラマンの日」とされているのはこのためである。

 TBSから支給された製作費は1クールにつき7000万円(1本につき約538万円)という破格の額であったが、ミニチュアを使った巨大特撮は莫大な費用が掛かり、妥協を許さぬ円谷英二のダメ出しによる撮り直しも相俟って赤字であった。毎週放送するのは予算的にも時間的にも余裕がなく、協議の結果、3クール39本の放送で一旦放送終了することが決定した。

 製作陣の苦悩はさておき、視聴率はほとんどの回で35~40%をキープする大ヒットとなり、第37話「小さな英雄」では最高視聴率42.8%という伝説的記録を叩き出した。

 最終回「さらばウルトラマン」でも37.8%をマーク。ウルトラマンがゼットンに倒されるという衝撃シーンに影響を受けた著名人も多く、大仁田厚や前田日明は「大人になったらゼットンを倒してウルトラマンの仇を取ろう」と格闘技を始めるきっかけになったと語っている。

 また、ゾフィーに命をもらってハヤタと分離し、宇宙に還っていくウルトラマンのラストシーンでは、当時の子どもたちがウルトラマンを一目見ようと窓を開けて夜空を見上げた、という逸話も残っている。

 特撮では、製作費の問題からか、都会の街中での戦闘・破壊は全体的に少なく、山や海、雪原、といった自然の中での戦闘シーンが多い。牧歌的で明るい作風のため、シリアスな内容に寄せた次作『ウルトラセブン』(1967)とファンの好みがよく分かれる。

 『ウルトラQ』を発展させ、今日まで続くウルトラシリーズの礎を築いた画期的作品である。


cf.)「特撮のDNA」での展示はこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/7747851.html


cf.)前作『ウルトラQ』総論はこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/6654971.html


cf.)次作『ウルトラセブン』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6375058.html

[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラマン
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