ウルトラシリーズは初代『ウルトラマン』(1966)が最初の出発点と思われがちだが、実は違う。その前に放送されていた礎的番組がある。その名も『ウルトラQ』。1966(昭和41)年1月2日から7月3日まで、TBS系列で27話が放送された(28話目は再放送時に初めて放送)。武田薬品工業による一社提供番組だった。
特撮を指揮した『ゴジラ』(1954)の大ヒットをきっかけに一躍有名になった円谷英二。自身が1963年に設立した円谷プロダクション(当時は円谷特技プロダクション)とフジテレビとの間で、特撮番組「WoO」の企画が進行していた。これはフジテレビ演出部にいた英二の次男・皐(のぼる)の発案。母星を失って地球に漂着した友好的なアメーバ状の宇宙生物・WoOと、カメラマンのコンビが数々の怪事件を解決するという内容だった。
一方、TBSとの間では特撮番組「UNBALANCE」の企画が進行していた。これはTBS映画部にいた英二の長男・一が繋いでいた。自然界の均衡が崩れた世界「アンバランス・ゾーン」に起こる怪現象を描く内容。
これらの作品を製作するため、英二は当時世界に2台しかなかったアメリカ・オックスベリー社の最新光学合成撮影機「オプチカルプリンター 1200シリーズ」を発注。代金はフジテレビに賄ってもらう算段でいたが、土壇場で「WoO」の製作が頓挫したため、オプチカルプリンター購入のキャンセルを申し入れた。しかし、既に船で日本に輸送中だったためキャンセルは叶わず、当時の価格で約4000万円(約12万ドル)の負担元を慌てて探すことに。(当時の公務員の初任給は約2万円だった。)
幸い、TBS映画部に在籍していた長男・一の口添えのおかげで、TBSが購入することになり、1964年8月には検討段階にあった企画「UNBALANCE」の製作が正式に決定した。この時点では1クール13本、製作費は破格の7000万円がTBSから支給され、1本約500万円。当時は30分もののテレビ映画相場が1本150万円だったことを考えると、「世界のツブラヤ」の手腕に相当期待が掛かっていたものと思われる。事実、本作は海外販売を前提としていた。
当初は、アメリカのSFテレビドラマ『トワイライト・ゾーン』(1959)や『アウター・リミッツ』(1963)を意識した怪奇現象中心の作風が目指された。しかし、製作途中で路線変更がなされる。TBSプロデューサー・栫井巍が日曜夜7時という放送時間帯を考慮し、対象視聴者を子どもに引き下げ、怪獣を多く出すよう指示。
それに伴い、番組名も『ウルトラQ』に変更。これは東京オリンピックの体操競技で流行した難易度を表す言葉「ウルトラC」と「Question」の「Q」を掛け合わせたものだ。
放送順も熟慮が重ねられた末、怪獣路線であることをアピールすべく、怪獣が2体も登場する「ゴメスを倒せ!」が第1話となった。このような経緯で、SF、ホラー、ファンタジー、怪獣が混在するバリエーション豊富なラインアップとなったのである。
メインライターは金城哲夫。28本中、12本の脚本を手掛け、シリーズ構成や各脚本家への発注も担当し、プロデューサー的な役割も精力的にこなしている。
放送が始まると、視聴率が常時30%を超える爆発的人気を獲得。日本全国に怪獣ブームを巻き起こすこととなり、次作『ウルトラマン』の大ヒットの礎となる。
ウルトラシリーズの歴史的第一作目は、オプチカルプリンターの大ピンチや路線変更といった紆余曲折を乗り越え、こうして世に放たれたわけである。
モノクロ作品であるが、放映45周年となる2011年、『総天然色ウルトラQ』としてカラー化されたDVDとBDが発売されている。
cf.)「特撮のDNA」での展示はこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/7737795.html
cf.)次作『ウルトラマン』総論はこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/6642931.html
cf.)メインタイトルのマーブル模様についてはこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/7339569.html
[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラQ
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特撮を指揮した『ゴジラ』(1954)の大ヒットをきっかけに一躍有名になった円谷英二。自身が1963年に設立した円谷プロダクション(当時は円谷特技プロダクション)とフジテレビとの間で、特撮番組「WoO」の企画が進行していた。これはフジテレビ演出部にいた英二の次男・皐(のぼる)の発案。母星を失って地球に漂着した友好的なアメーバ状の宇宙生物・WoOと、カメラマンのコンビが数々の怪事件を解決するという内容だった。
一方、TBSとの間では特撮番組「UNBALANCE」の企画が進行していた。これはTBS映画部にいた英二の長男・一が繋いでいた。自然界の均衡が崩れた世界「アンバランス・ゾーン」に起こる怪現象を描く内容。
これらの作品を製作するため、英二は当時世界に2台しかなかったアメリカ・オックスベリー社の最新光学合成撮影機「オプチカルプリンター 1200シリーズ」を発注。代金はフジテレビに賄ってもらう算段でいたが、土壇場で「WoO」の製作が頓挫したため、オプチカルプリンター購入のキャンセルを申し入れた。しかし、既に船で日本に輸送中だったためキャンセルは叶わず、当時の価格で約4000万円(約12万ドル)の負担元を慌てて探すことに。(当時の公務員の初任給は約2万円だった。)
幸い、TBS映画部に在籍していた長男・一の口添えのおかげで、TBSが購入することになり、1964年8月には検討段階にあった企画「UNBALANCE」の製作が正式に決定した。この時点では1クール13本、製作費は破格の7000万円がTBSから支給され、1本約500万円。当時は30分もののテレビ映画相場が1本150万円だったことを考えると、「世界のツブラヤ」の手腕に相当期待が掛かっていたものと思われる。事実、本作は海外販売を前提としていた。
当初は、アメリカのSFテレビドラマ『トワイライト・ゾーン』(1959)や『アウター・リミッツ』(1963)を意識した怪奇現象中心の作風が目指された。しかし、製作途中で路線変更がなされる。TBSプロデューサー・栫井巍が日曜夜7時という放送時間帯を考慮し、対象視聴者を子どもに引き下げ、怪獣を多く出すよう指示。
それに伴い、番組名も『ウルトラQ』に変更。これは東京オリンピックの体操競技で流行した難易度を表す言葉「ウルトラC」と「Question」の「Q」を掛け合わせたものだ。
放送順も熟慮が重ねられた末、怪獣路線であることをアピールすべく、怪獣が2体も登場する「ゴメスを倒せ!」が第1話となった。このような経緯で、SF、ホラー、ファンタジー、怪獣が混在するバリエーション豊富なラインアップとなったのである。
メインライターは金城哲夫。28本中、12本の脚本を手掛け、シリーズ構成や各脚本家への発注も担当し、プロデューサー的な役割も精力的にこなしている。
放送が始まると、視聴率が常時30%を超える爆発的人気を獲得。日本全国に怪獣ブームを巻き起こすこととなり、次作『ウルトラマン』の大ヒットの礎となる。
ウルトラシリーズの歴史的第一作目は、オプチカルプリンターの大ピンチや路線変更といった紆余曲折を乗り越え、こうして世に放たれたわけである。
モノクロ作品であるが、放映45周年となる2011年、『総天然色ウルトラQ』としてカラー化されたDVDとBDが発売されている。
cf.)「特撮のDNA」での展示はこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/7737795.html
cf.)次作『ウルトラマン』総論はこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/6642931.html
cf.)メインタイトルのマーブル模様についてはこちら→http://tokusatsu-ultra.xyz/archives/7339569.html
[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウルトラQ
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