『ウルトラマン80』(1980)で80(エイティ)に変身する主人公・矢的猛を演じた長谷川初範は、1955(昭和30)年6月21日に北海道紋別市で生まれる。
1975(昭和50)年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。在学中に「長谷川憬」の芸名で『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日系)や『俺たちの祭』(日本テレビ系)に出演し、卒業公演の舞台で主役を務めて注目される。
卒業後、本名の「長谷川初範」として1978(昭和53)年のドラマ『飢餓海峡』(フジテレビ系)にて本格デビューを果たす。次にレギュラー出演した1979(昭和54)年の『熱愛一家・LOVE』(TBS系)における好青年ぶりが当時プロデューサーだった野村清の目に留まり、『ウルトラマン80』の主役候補として面接を受けることになる。
このとき、円谷プロの満田かずほプロデューサーも『熱愛一家・LOVE』で長谷川初範の母親役だった故・森光子から推薦を受けていた。名女優の推薦もあり、面接の翌日に決定。しかし、当の本人は何のドラマかまったく知らずに面接を受けており、その終了間際で初めて80のオーディションであることを知ったという。
長谷川は『80』出演後、「長谷川ショパン」の芸名で活動するが、1990(平成2)年再び本名へと変更。その翌年に放送された『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)で演じた、主役の恋敵の好演が脚光を浴び、以降数々の作品に出演。現在に至るまで多彩な活動を続けている。
放映当時、特技に剣道二段(現在は三段以上)とあったことから、放映前の番宣スチールでは竹刀を構える剣道着姿が撮影されている。他にも、杖道初段、居合道一級、レスリングやシューティング、空手にも長け、バスケットボールでは実業団チームの選手として全道大会出場経験もある。さらにスキーも一級で、その腕前は第46話で確認できる。しかし、そんなスポーツ万能の長谷川氏も『80』出演時はカナヅチで、第32話での海に入るロケでは苦労したそうだ。
cf.)『ウルトラマン80』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6276509.html
[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS

にほんブログ村

1975(昭和50)年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)演劇科に入学。在学中に「長谷川憬」の芸名で『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日系)や『俺たちの祭』(日本テレビ系)に出演し、卒業公演の舞台で主役を務めて注目される。
卒業後、本名の「長谷川初範」として1978(昭和53)年のドラマ『飢餓海峡』(フジテレビ系)にて本格デビューを果たす。次にレギュラー出演した1979(昭和54)年の『熱愛一家・LOVE』(TBS系)における好青年ぶりが当時プロデューサーだった野村清の目に留まり、『ウルトラマン80』の主役候補として面接を受けることになる。
このとき、円谷プロの満田かずほプロデューサーも『熱愛一家・LOVE』で長谷川初範の母親役だった故・森光子から推薦を受けていた。名女優の推薦もあり、面接の翌日に決定。しかし、当の本人は何のドラマかまったく知らずに面接を受けており、その終了間際で初めて80のオーディションであることを知ったという。
長谷川は『80』出演後、「長谷川ショパン」の芸名で活動するが、1990(平成2)年再び本名へと変更。その翌年に放送された『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)で演じた、主役の恋敵の好演が脚光を浴び、以降数々の作品に出演。現在に至るまで多彩な活動を続けている。
放映当時、特技に剣道二段(現在は三段以上)とあったことから、放映前の番宣スチールでは竹刀を構える剣道着姿が撮影されている。他にも、杖道初段、居合道一級、レスリングやシューティング、空手にも長け、バスケットボールでは実業団チームの選手として全道大会出場経験もある。さらにスキーも一級で、その腕前は第46話で確認できる。しかし、そんなスポーツ万能の長谷川氏も『80』出演時はカナヅチで、第32話での海に入るロケでは苦労したそうだ。
cf.)『ウルトラマン80』総論はこちら→http://ultra-7.blog.jp/archives/6276509.html
[参考]
『ウルトラマン OFFICIAL DATA FILE』DeAGOSTINI.編©TSUBURAYA PRODUCTIONS

にほんブログ村
